「数字」などを実感を伴って理解するには得意なことに絡めるとよいのかも

今日書きたいのは、

・小さいころに、「数字」のようなその後も多用するツールについての実感を伴った深い理解をすることが大事。

・そのためには子どもの得意な分野に絡める形できっかけづくりをするのが良いかも。

というあたりです。

 

 

 

私が小学校低学年のころ、宿題が「課題」と「自由学習」のセットみたいな形で出されていました。

 

「課題」は漢字の書き取りだったり、計算問題だったり、先生がその日やるお題を決めてやる宿題です。

「自由学習」は、日記でも何でもいいからとにかくノートの見開き2ページになにか書いてくればOKみたいな宿題だったと記憶しています。

 

ある日「課題」で1から100までの数字を書いてくるように、という宿題が出されました。10分くらいで書き終えたと思うのですが、100という大きな数字を全部書き終えたという満足感がありました。

もっと続きを書きたい、そう思ったので、次の日から「自由学習」でその続きを書き始めました。

もともとほかの人から見たらよくわからないようなことに集中力を発揮するようなタイプだったので、その続きは1000を超え、5000を超えて、ノートが2冊目、3冊目になっても書き続け、数か月で13000くらいまで書いたところで飽きてやめた、と記憶しています。

 

このことで、5000や10000という数字がどのような大きさのものであるか、ということが実感を伴って深く理解できた、と思います。

この「実感を伴って理解する」ということがとても大事で、名著「シン・ニホン」にも、

本当の意味で肉化された知識、知恵がなければその人なりの価値の創出が難しい時代に突入することを考えれば、肌感覚で価値を理解でき、操作できる領域を増やすこと、それを表現する力が極めて大切になることは自明だ。(中略)対象とのぶつかり合いを通じて、自分なりに肉化する力や気づく力が遥かに大切になる。

 

とあります。(「シン・ニホン」については別途また感想や考えたことなどを書きたいと思います。)

 

この数字の大きさというものを実感を伴って理解できたことが原因がどうかはわかりませんが、その後は数字を面白いと思うことが増え、小学校で好きな科目を聞かれれば「算数」と答えていたし、高校では理系を選択して大学でも理系学部に行き、今でも「この数字とこの数字を使って分かりやすい資料を作る」みたいな仕事は楽しくやっています。

 

 

 

話は変わりますが、5歳になる上の子は、「ルールを理解する」とか「言葉の意味を理解する」というようなことはスムーズにできるのですが、数字が苦手なようでして、数字の大きい小さいを知りたい、例えば6と8とどっちが大きいかを知りたい、というときには、壁にかけてあるカレンダーや時計を見て数字の大きい小さいを確認してから話しはじめる、という感じでした。

かといって、かつて私がやったようにとにかく数字を書きまくる、みたいなやり方を本人の希望なしにやったとしても、ただの苦行にしかならないので、そこは何かのきっかけを待っていたところです。

 

先日子どもの希望で、サンリオのトランプを買いました。はじめはババ抜きや七並べをやっていたのですが、大貧民(地域によっては「大富豪」ですかね)のルールを教えてみました。

5歳にはちょっと難しいかな、とも思ったのですが「ルールを理解する」のは苦労せずやるタイプなので、わりとすんなり理解し、今では負けると床をたたいて悔しがり、勝つと飛び上がって喜ぶなど、ドハマりしているようです。寝る時間になっても「まだやる!」と言い張るのはさすがにやめてほしいですが。。。

 

そうやって大貧民にドはまりしているうちに、いつの間にか時計やカレンダーを見なくても小さな数字であれば大小がすんなり出てくるようになったようです。

これが「実感を伴って理解している」ことなのかどうかはわかりませんが、少なくとも数字に親しむきっかけになったようです。

 

 

私の場合は、ほかの人からみたらよくわからないようなことに集中力を発揮するタイプだったのが幸いして、数字に対する実感を伴った理解につながりましたが、上の子の場合、「ルールを理解する」ということは割と得意であり、得意なことを利用してゲームにハマることが数字に親しむきっかけになったので、これからも得意な分野と絡めてきっかけとなるようなことを提供していければいいな~と思った次第です。