説明が刺さる気持ちよさを比較的頻繁に体験できるのが子育ての魅力の一つかもしれない
先日、長女(5歳)が「湯たんぽ」を知らない、というので説明したときのことです。
「湯たんぽって何?」
「湯たんぽ知らないのか~」(確かに家にはないもんな~。こんな説明ではどうかな)
「湯たんぽはね、これくらいの大きさで、上にネジネジのふたがついてて、中にお湯を入れて、それをお布団に入れるとお布団があったかくなって気持ちいい、というやつだよ。」
「わかんない。」
「わかんないか~。」(ムム、ではこんな説明ではどうか)
「ペットボトルってあるじゃない?あれにお湯を入れてふたを閉めたら、ペットボトル全体があったかくなるでしょ?それをお布団に入れるとお布団があったかくなるわけ。」
「うん」
「でもペットボトルだとすぐ冷めちゃってあったかくなくなるから、もっと大きい入れ物にお湯を入れて、朝まであったかいのが湯たんぽだよ。」
「わかんないけど、どういう物かはわかった。」
(おっ、刺さったかな)
そのあと妻に「湯たんぽってね~こういう物なんだよ~」と説明する声が聞こえたので、多分、
・フタのついた容器であること
・中にお湯を入れること
・布団の中に入れて暖めるもの
であることはわかってもらえたようです。
説明が刺さる、というのは気持ちが良いものです。
ですが、大人に対して説明する時に「説明が刺さって気持ちいい」ということは、説明がむちゃくちゃうまい人以外はそんなに頻繁にあるわけではないと思います。
説明する中身も複雑なことが多く、たとえ説明が刺さっていても、それをリアクションしてくれないこともあります。
子どもに説明する場合、簡単な中身のものも多く、表情豊かでリアクションが分かりやすいので、「説明が刺さって気持ちいい」ということが大人に比べて多いな~と感じます。