人の判断に頼った仕組みでは根本的な解決にならないんじゃないか
歩きスマホで事故にあった人のニュースを見た。
踏切を渡ろうとしたとき、歩きスマホしていたため踏切の手前と勘違いして踏切の中にとどまってしまい、列車にひかれたらしい。
ニュースでは歩きスマホの規制が必要じゃないか、という論調で締めくくっていた。
でも、それは違うんじゃないか、と思った。
人とスマホがある限り、歩きスマホをする人はいるわけで、規制を厳しくしてもきっとやる人はやる。
そもそも規制をしたとして、歩きスマホなんてどうやって取り締まるんだ。
それよりも踏切をなくしてしまった方が、歩きスマホの踏切事故は無くなる。
お金はかかるし、踏切以外の歩きスマホ事故はあるだろうけど、根本的な解決のひとつにはなっている。
飲酒運転なんかもそうだろう。
規制や取り締まりが厳しくなって、職場でも「飲酒運転、ダメ、絶対」のような呼びかけは行われているが、飲酒運転や飲酒運転の事故は無くなっていない。
人と酒と車がある限り、きっとなくなりはしないだろう。
そもそも、酒を飲んだ時は判断力が鈍っているから飲酒運転が禁止されているのに、その状態の人に車を運転するかどうかの判断をゆだねたらいけないと思う。
これも、アルコールを検知したらエンジンがかからない車、のような人の判断に頼らない仕組みになれば根本的な解決になるだろうけど。
人の判断に頼った仕組みにすると、失敗したときにその人の判断ミスを責められる仕組みにもなってしまう。
アルコールを検知したらエンジンがかからない車しかなければ、判断ミスのしようがない。
少しでも人の判断に頼らない仕組みにすることで、生きやすい社会にもなるんではないだろうか。