人の判断に頼った仕組みでは根本的な解決にならないんじゃないか
歩きスマホで事故にあった人のニュースを見た。
踏切を渡ろうとしたとき、歩きスマホしていたため踏切の手前と勘違いして踏切の中にとどまってしまい、列車にひかれたらしい。
ニュースでは歩きスマホの規制が必要じゃないか、という論調で締めくくっていた。
でも、それは違うんじゃないか、と思った。
人とスマホがある限り、歩きスマホをする人はいるわけで、規制を厳しくしてもきっとやる人はやる。
そもそも規制をしたとして、歩きスマホなんてどうやって取り締まるんだ。
それよりも踏切をなくしてしまった方が、歩きスマホの踏切事故は無くなる。
お金はかかるし、踏切以外の歩きスマホ事故はあるだろうけど、根本的な解決のひとつにはなっている。
飲酒運転なんかもそうだろう。
規制や取り締まりが厳しくなって、職場でも「飲酒運転、ダメ、絶対」のような呼びかけは行われているが、飲酒運転や飲酒運転の事故は無くなっていない。
人と酒と車がある限り、きっとなくなりはしないだろう。
そもそも、酒を飲んだ時は判断力が鈍っているから飲酒運転が禁止されているのに、その状態の人に車を運転するかどうかの判断をゆだねたらいけないと思う。
これも、アルコールを検知したらエンジンがかからない車、のような人の判断に頼らない仕組みになれば根本的な解決になるだろうけど。
人の判断に頼った仕組みにすると、失敗したときにその人の判断ミスを責められる仕組みにもなってしまう。
アルコールを検知したらエンジンがかからない車しかなければ、判断ミスのしようがない。
少しでも人の判断に頼らない仕組みにすることで、生きやすい社会にもなるんではないだろうか。
石ひろいは静かにハイになれる趣味
先日も書いたが、子どもと近くの海で石ひろいをしてきた。楽しかった。
実は石ひろいは小学生のころからの趣味の一つで、実家の近くの河原でときどきやっていた。
その河原では、珪化木という木の化石が、運が良ければ1時間で2~3個くらいひろえた。
満足するものがひろえない時もあったが、石を探すことに集中しているうちに頭は静かなんだけどハイになる感じがして楽しかった。
似たような感覚は山菜やキノコ採りにも共通するところだろう。
私は山歩きをよくするので、登山道のわきにキノコや山菜を見つけて採ってくることがある。
ふつうはみつけたら少しだけもらっていく程度だが、一度、タラノキが大量に群生しているのを発見したことがあった。
山の中に送電線を通すため、電線の下を大規模に刈り払いしたところに、たくさんのタラノキが芽吹いたらしい。
このときも採っているうちに静かにハイになる感じがして、気づいたら持っていた袋はタラの芽でいっぱいになり、手はタラノキのトゲで穴だらけになっていた。
実家でミニトマトの収穫を手伝っているときや、知り合いの農家でリンゴの収穫の手伝いをしているときも似たような感覚になる。
カニの身をほじって食べていると無言になる、とかも近い感覚なのかもしれない。
どうも「目で探して手で取る」という作業を繰り返すとき、そんな感覚がついてくるようだ。
ヒトの祖先がまだおさる的な生き物で木の上で暮らしているときから「目で食べられそうな木の実を探して、手で取って食べる」ということを何百万年もやってきたはず。
「目で探して手で取る」という作業は生き死にを左右する大切な作業だから、集中してやれるヤツが生き残って今のヒトにもつながっているのかもしれない。
石ひろい、楽しいですよ。
近くの海岸で石を拾うのが楽しい
子どもたちと時々海に行きます。
あんまり海の中に入るのは興味が無いようで、主に砂浜できれいな石や貝殻を拾ったりして遊んでいます。
ここ最近行った海岸をメモしておきます。
おすすめは十府ヶ浦海岸。
安すぎるのもどうかと思ったこと
先日、近所の八百屋でスイカが1個650円で売っていた。
650円て。小玉でもない普通サイズのスイカ。税込みでも702円。安すぎる。
客寄せのために「先着5名様」のような制限があるわけでもない。
買って食べたが、皮が厚いとか、甘さが少ないとか、訳あり品というわけでもない。
ありがたかったが、申し訳ない気持ちにもなった。
マツタケやサンマなどの天然のものであればまだいいと思うのだけど、スイカのように経費をかけて作ったであろうものが安すぎるのは、作った人へのしわ寄せがスゴい。
実家では小規模ではあるがミニトマトを栽培し、出荷している。
ミニトマトも値段が相場に左右され、安いときは1パック30円、高いときは200円と幅も大きい。
夏場の天気が良いときほどたくさん採れ、値段も安くなりがちなんだけど、夏場にビニールハウスで収穫作業をやるのは熱中症と隣り合わせのとても大変な作業である。
そんな時ほど値段が安いので、やってられない気持ちにもなる。
かといってきちん収穫してやらないと、値段がまともになってきた頃に実をつけなくなるのだそうだ。
少し話はちがうけど、こちらは儲け度外視で安く売ることで、作る人は自己満足で良いかもしれないけど、周りの人に迷惑になっているかもしれないという話。
元教員の方が恵まれた退職金と年金を受給しながら、それをもとに儲け度外視して地元の団子屋単価をダンピングし続けるのはなかなか痺れる...。┃儲けは度外視…みたらし団子“1本30円” 教員退職した店主が未経験で開業「地域の人ふれあえる場所を」https://t.co/OZLP4mRqXr
— 木下斉/Hitoshi Kinoshita (@shoutengai) August 27, 2021
もう少しちゃんとした値段で売ってほしい。
内容が違っても目的が同じならそのアプローチは参考にしたほうがいいんじゃないか
近所の公園の入り口に大人のひざ高さくらいの車止めがある。今朝、そこにA3サイズに印刷してラミネートした看板が貼っていたのに気づいた。
どうやら、公園を利用するにあたっての新型コロナ対策について書かれているようなのだけど、残念ながら、これでは誰も読まないだろうな~というもの。
4つくらいの項目がかかれていたけど、結構詳しく小さな字で書いてあり、ひざ下くらいの高さなので、しゃがまないと読めない。そもそも看板に気づかない人も多いかも。
字も白地に黄色や緑で書いてあって、見にくい。
もうちょっと、読む人のことを考えてくれればいいのにな~と思った。
もうしばらく行くとドラックストアがあるのだけど、そこの駐車場の看板はとても対照的だった。
書いていたのは、
・ドラックストアのロゴ
・P→(駐車場の入り口はこちらの意味)
・くすり
字も一文字50㎝くらいで非常に大きく、白地に黒で書いてあり、高さも人の目線の高さよりも少し高いくらいの見やすい位置にあった。
これであれば、きっと車を運転しながらでも20~30mはなれたところから「ここはくすりを扱っている店でその駐車場の入り口はここ」ということがわかるだろう。
公園の看板もドラックストアの看板を参考にできていたら、ああは書かなかったと思う。
もちろん、コロナ対策の方が情報量としては多いだろうから、すっかり真似はできないだろうし、伝わりやすさを優先させるなら情報を少なくせざるを得ないと思う。
でも、誰にも読まれないよりはまし。
ふたつの看板は「コロナ対策の留意事項」「店への誘導」という全然異なる内容のものなんだけど、「看板で情報を伝える」という手段と目的は同じなので、コロナ対策の看板を作る人もドラックストアの看板の作り方をきっと参考にできる。
やっていることの目的(この場合は「必要な情報が伝わること」)を忘れなければ、身近なところにも手本になるものは見つけられるんじゃないかと思った。
イタズラの時の興味の方向の違い
私には二人子どもがおりまして、長女がもうすぐ5歳、次女が1歳半です。
控えめに見てもどちらもめっちゃかわいいです。
姉妹であっても違うなーというところも結構ありまして、その一つがタイトルにもあるイタズラの時の興味の方向の違いです。
長女は人に興味があるようで、イタズラをするときは人の反応を見ながらイタズラをします。
「これをイタズラするとこの人はどんな感じにリアクションするかな?」みたいな感じなので、イタズラをするときはすごくニヤニヤした顔でやっている。
イタズラをしたブツもすぐ見つかるようなところにおいてあったり、見せに来ることが多い。
なんでお絵かき帳があるのにテーブルに直でクレヨンで書くのか。「できたよー」じゃないし。
それに対して次女は「イタズラするとこれはどうなるんだろう」という物に対する興味の方が強く、イタズラをするときはすごくまじめな顔をしてイタズラをしています。
とはいえ、次の興味のあるものに出会うと今までいじっていた物はその辺にポイすることも多いらしく、イタズラをしたものは後日とんでもないところから発見されたりします。
さっきまでリモコンをいじっていたはずなのに、どこを探しても見つからないんだけど。
年齢の差かな~とも思いますが、長女が1歳半の時はすでにニヤニヤしながらイタズラしていたので、年齢だけではないのかも。
これがいつまでもこのままかどうかも分からないので、今時点の記録として。
軽いうつを自分でなんとかする
軽く鬱になったので、しばらく更新していなかった。
1~2年に1回くらいのペースで軽い鬱のような感じになるので、その時の状況や対処などをメモっておこうと思います。
原因の多くは仕事にあります。
仕事が忙しすぎてうつ病発症、のような話をよく聞きますが、私の場合、仕事が暇な時に鬱になることも多いです。忙しいときに鬱になるのは「この仕事やってもあんまり意味ないな~」みたいな仕事の割合が多い場合に鬱になる傾向があるようです。つまり、価値がある仕事をできていない時になることが多いっぽい。
症状は、
・いつも不安があって苦しい感じになる。物理的に息苦しい気もする。
・頭がなんとなくぼんやりして、考える力が弱くなる。「字が頭に入ってこない」ような症状をよく聞きますが、私の場合にはそこまでではなく、インプットよりもアウトプットができなくなる。打ち合わせでも意見が出てこない。メールの返信が遅くなり、既読スルーが増える。
・眠れないことはあんまりない。逆に10時間以上寝てしまうことはある。
・表情も乏しくなっている気がする。
仕事である程度成果が出たりすると、何となく治っていきます。大体1~3か月くらいの期間を経て治ってくる場合が多い。
ただ、仕事は自分だけで成果が出るわけではなく、どうしようもない部分もあるので、その間悪くならないように対症療法するしかない。
対症療法としてやっているのは、こんな感じ。医学的な根拠はありません。いい気がする、くらいです。
・手を握ったり開いたりを繰り返す。頭がちょっとスッキリする気がする。
・深呼吸をする。
・1日5kmくらい歩く。
・香辛料ががっつり効いたカレーを作って食べる。息苦しさが軽くなる気がする。
・シャワーでなくお風呂に入る。
・10時に寝て6時に起きる。できそうで難しい。